アメリカでの新生活が始まった日のことを、私は今でも鮮明に覚えています。空港に降り立った瞬間から、まるで世界が一変したような感覚でした。言語、空気、人の流れ、何もかもが「異国」で、心の中には不安と緊張、そして少しのワクワクが同居していたのを思い出します。
この文章では、母親として子どもたちを連れて初めてアメリカに渡った私が、空港に到着してから現地の家にたどり着くまでの“濃密すぎる一日”を記録していきます。
入国審査のプレッシャーと緊張
空港に着いたのは朝の9時過ぎ。シカゴ・オヘア国際空港の広さに圧倒されながら、重いスーツケースを押して入国審査の列に並びました。子どもたちは長旅でぐったりしていましたが、私はそれ以上に緊張していました。
なぜかというと、家族帯同で入国する際、審査官の対応によっては厳しく質問されることがあると事前に聞いていたからです。
「滞在先はどこですか?」「子どもたちは学校に通う予定ですか?」「ビザの種類は?」といった質問に、つたない英語で必死に答えながら、何度も手のひらが汗で濡れました。子どもたちの手を握りながら、私自身が心の中で「どうかスムーズに通れますように」と願っていました。
まさかの“荷物トラブル”に疲労がピーク
荷物を受け取るターンテーブルで、スーツケースはすぐに出てきましたが、下の子用のベビーカーがなかなか出てきません。しかも、到着したばかりの空港での問い合わせはすべて英語。頭の中は「英語モード」に切り替わっていたつもりでも、疲労と焦りで言葉がスムーズに出てこない。
ようやく空港スタッフに確認し、別の場所に送られていたことが分かって安堵しましたが、その間に子どもたちは空腹と眠気でグズグズ。正直、泣きたいのはこちらでした。
空港からの移動が一番の“山場”だった
本来であれば空港送迎サービスを事前に予約しておくべきだったのですが、少しでも節約したいという思いからUberを使うことにしていました。
しかし、現地SIMのアクティベートがうまくいかず、スマートフォンがつながらない。空港の無料Wi-Fiも途中で切れてしまい、アプリが機能しない。ついには、Wi-Fiスポットを探して空港内を右往左往することに。
子どもを片手で抱え、もう一方でスーツケースを引き、夫と目を合わせるたびに無言で「どうする?」とアイコンタクト。ようやく車を呼び出せたときは、空港に着いてからすでに2時間以上が経っていました。
家に着いた瞬間、涙が出そうになった
ようやくたどり着いた家は、事前に写真だけで見ていた家具付きのアパートでした。玄関の鍵を開けて中に入った瞬間、ほんのり香る柔軟剤の匂いと、カーテンから差し込む柔らかな光に、張り詰めていた神経が一気にほどけました。
ソファに荷物を置き、子どもたちがそれぞれ部屋を走り回っているのを見たとき、「ようやくたどり着けた」という実感が湧き、目頭が熱くなりました。
夫と「ここが私たちの新しい暮らしの始まりだね」と顔を見合わせたその瞬間、疲れが一気に押し寄せてきました。
小さな戸惑いの連続だった“初日”
引っ越し当日、地味に困ったことがいくつもありました。まず、トイレの使い方が分からない。水を流すレバーの位置や押し方が日本と違っていたし、シャワーの使い方もわからず、お湯が出るまでに時間がかかりました。
キッチンもオーブンが巨大すぎて使い方が分からず、電子レンジの表示も見慣れない単位で、冷凍食品すら温めるのに苦労しました。
それでも、冷蔵庫に入れておいたペットボトルの水を飲みながら、みんなで「今までで一番長い一日だったね」と笑い合ったとき、少しだけ未来が見えた気がしました。
子どものひとことが心に残っている
夜、寝かしつけのときに、上の子が布団の中でぽつりとつぶやいた言葉があります。「ママ、今日は“アメリカに来た”って感じがした」
その一言に、親としてどれだけの想いをかけていたかは、本人はまだ知らないでしょう。でも、それを聞いた瞬間に、ここでの暮らしを一歩ずつ作っていこうという決意が固まりました。
最後に:あの日が私たちの“再出発”だった
空港から家に着くまでの時間は、今思えばほんの数時間。でも、母親として、家族を引っ張る役割として、あれほど心を動かされた日は他にありません。
不安と混乱、疲労と達成感。それらが交差したあの一日が、私たち家族にとって“アメリカ生活の本当のスタートライン”だったのだと思います。
これから海外での暮らしを始めるご家族へ。どんなに準備をしても、現地でしか経験できないことがあります。そして、そのすべてが、後になって宝物になる日がきっと来ます。
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