海外生活を始めてしばらくすると、子どもが突然泣き出したり、「日本に帰りたい」と訴えたりすることがあります。それが「ホームシック」。
大人でも慣れない環境で不安になるのですから、言葉も文化も違う国に来た子どもたちが、心細くなるのは当然のことです。
今回は、私たち家族がアメリカ生活で実際に経験した子どものホームシックと、それにどう向き合い、どうサポートしてきたのかをご紹介します。同じ悩みを抱えるご家庭の一助になれば幸いです。
渡航3週間後に訪れた”異変”
私たちがアメリカに引っ越してから3週間ほど経った頃、当時小学3年生だった息子が、毎晩のように「ママ、日本に帰りたい」「〇〇(日本の親友の名前)に会いたい」と泣くようになりました。
はじめは疲れのせいかと思っていたのですが、学校にも行きたがらず、朝は泣きながら登校準備。日本では考えられなかった様子に、親としても動揺しました。
英語が聞き取れない、授業の内容が分からない、友達がいない、お弁当が違う——そのどれもが、彼にとっては「ここは自分の居場所じゃない」と感じさせていたのだと思います。
無理に励まさず「共感」する

最初の数日は、「すぐ慣れるよ」「頑張って!」と声をかけていましたが、それが逆効果であることに気づきました。
子どもは共感を求めているのに、励ましの言葉がプレッシャーになってしまっていたのです。
その後は、
- 「不安だよね」「友達いないと寂しいよね」
- 「ママも最初はスーパーで泣きそうになったよ」
と、まずは気持ちを受け止めるようにしました。涙を流しながら話す息子に、「帰りたいと思ってもいいんだよ」と伝えると、ふっと表情がゆるむ瞬間がありました。
日本との“つながり”を持たせる工夫

息子の心が落ち着くように、日本とつながる機会を意識して増やしました。
- 日本の祖父母と毎週ビデオ通話
- LINEで日本の友達にメッセージを送る練習
- 日本のアニメや漫画を一緒に観る
物理的な距離はあっても、「大好きな人たちはちゃんと自分のそばにいる」と感じられる時間が、息子には必要だったのです。
また、手紙を書いてポストに入れるという「アナログなつながり」も、意外と気持ちを落ち着ける手段になりました。
新しい生活への“安心感”を作る

環境に慣れるために、日々のルーティンを作るようにもしました。
毎朝の散歩、週末は決まったカフェでホットチョコレートを飲む、学校から帰ったら1時間は好きな日本の動画タイム…など、日常の中に「変わらない安心」を意識的に組み込むようにしたのです。
それに加えて、「新しい楽しみ」を見つけるのも大切でした。たとえば、
- 学校の図書室で日本語の絵本を見つける
- アメリカのお菓子を一緒に試す
- PTAのイベントで出し物に挑戦する
小さな成功体験を積み重ねることで、「この国にも自分の居場所がある」と少しずつ感じられるようになっていったようです。
学校との連携で不安を減らす
ホームシックに対して親ができることは多いですが、学校側の理解と協力も不可欠です。
担任の先生にホームシックの状態を伝えると、彼女は快く対応してくれました。たとえば:
- 朝の登校時にさりげなく声をかけてくれる
- 英語サポートの先生に少し長くついてもらう
- 図工や体育など「言葉に依存しない教科」での成功体験を意識的に増やす
など、本人に負担のない範囲で環境調整をしてくれたことに、今でも感謝しています。
“完全に慣れる”日は来ないかもしれない
正直に言えば、息子は今でも時折「やっぱり日本がいいなぁ」とつぶやくことがあります。
でも、それでいいのだと思います。完全にアメリカに馴染む必要なんてなく、日本への想いや懐かしさを大切に持ちつつ、新しい世界に挑戦していく。その“両立”こそが、バイリンガルや異文化生活の本質なのかもしれません。
親としても、「いつか慣れる」ことを目指すのではなく、「今の気持ちを大事にしながら、少しずつ進んでいければいい」と考えるようになりました。
ホームシックは“成長の階段”

当時は大変だったホームシックも、今振り返ると大切なステップでした。
子どもにとって「寂しい」「つらい」という感情に向き合うこと、そしてそれを言葉にして伝えること。親にとっても、ただ励ますのではなく、寄り添う姿勢を学ぶ貴重な機会だったと思います。
アメリカ生活におけるホームシックは、ただの一時的な「不安」ではなく、子どもが“自分の足で立とうとする過程”の一部なのだと、今なら思えます。
もし今、ホームシックで悩んでいるご家庭があれば、どうか焦らず、そして一人で抱え込まず、少しずつ日常の中で「安心」を増やしていってほしいと願います。
あなたの子どもも、きっとその先に「笑顔」で乗り越える日が来るはずです。
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